本
ガラスの犬

ガラスの犬
ボーム童話集
フランク・ボーム作
津森優子 訳
坂口友佳子 絵
ISBN 978-4-00-114255-6
オズの魔法使いなどの作品を書いた、フランク・ボームのおとぎ話集で、
8話の短編が入っています。8つのお話の中の、3話目の「クオック王妃」以外は、当時のアメリカの生活などに近い部分が書かれているようで、時代背景も感じる事が出来ます。
1話ごとのお話の終わりに教訓が書かれているのも興味深く、
元々、絵本の普及には、宗教との繋がりがある為、
子供達などに正しい行いをするようにと、諭している内容が多いと感じますが、
1901年に出版されたこの作品にも、その流れがあるようです。
私が読んで印象に残ったお話は、「クオック王妃」で、
放蕩暮らしの果てに、全てを失ってしまった王様の後を受け継ぐ10歳になる子供の王様の事を書いているお話なのですが、
この一節の中に出て来る言葉で、お金のない先代の王様が、総理大臣から小銭を借りて、ハムサンドイッチを買う事が書かれているシーンに、こんな文章があります。
「おまけに、たいして総理大臣は小銭を持っていない。王さまにおろかな助言しかできないような人間は、自分のお金だってろくに管理できないのだ。」
「この連中はお金がつづくかぎり、死んだ王さまに放蕩ぐらしをさせてきて、いまやまずしいくせに、気位ばかり高くて働く気がなかった。」
王様ではないとしても、今の日本で似たような印象を感じる事はないだろうか?
大きな世界を見る事をせずに、自分の暮らしに満足するのはそれでいいとは思うが、情報だけが入手し易い現代で、それを自分の常識と合わせて、都合のいい様に理解し、行動してしまう人間は多く、実際に働く事に時間を費やす大変さを忘れてしまう人や、経験すらしていない人はいるのではないだろうか?と感じました。
使われている言葉の面白さでは、10歳の王様がお金の為に、王妃を決めるシーンの一節で、
「クオック王妃になりたがっているお金持ちのご婦人方がぞろぞろと入ってきた。王さまは心配そうに見ていたが、一人のこらず、自分のおばあさんであってもおかしくない歳で、王家の麦畑からカラスを追いはらえそうなほどみにくいことがわかった。」
この文章の中で案山子がイメージされるのですが、案山子と書かないところに、
意味があり、想像力を働かせ、アメリカン・ジョークも含めたような例えで表現しているところに面白さを感じました。これも本を読む事で得る知識であり、子供の頃に読んだ事で、こういう知識は、しゃれた言い回しや、話し相手と楽しむ会話が出来るようになるのだと思います。アメリカ人と話していて、予想もしないような、言葉を会話に入れてくる人がいますが、こういうところが、会話の豊かさの基になっているのではないでしょうか。
働く事の意味の大切さを忘れてしまう人や、経験のない人間は、現実の豊かさや楽しさに触れる事が出来ない。
これは私なりの教訓って感じです。
妖精ポポポと鳥たちの帽子
流行を皮肉ったようなお話ですが、
残念な事に現代では流行がなければ、お金が流通しない事が多いと感じます。
但し、物の価値の本質も考えずに、大金が動くというだけで、その流行に便乗してしまう人も多いのは事実です。また、流行に乗せられなければ、消えて行ってしまう物もある。
流行に便乗するよりも、流行っていなくても、自分が納得するものをさがし続けたい。私はずっとそんな感じです。
この本に興味を持った方がいたら、これらの話を読んで、自分なりの新しい教訓を考えてみてはどうでしょうか。
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